ケータイ辞書JLogosロゴ 植田村(近世)


山口県>菊川町

 江戸期〜明治22年の村名。長門【ながと】国豊浦郡のうち。江戸後期に内日【うつい】村から分村して成立したと思われる。長府藩領。東豊浦郡奥支配に属す。村高は,「村浦明細書」には田畑現作高1,478石余,「旧高旧領」1,476石余。「村浦明細書」によれば,百姓家数114,運上銀免札に鍛冶1・大工3・木挽3・石工1・紺屋1があった。神社には大宮八幡宮(のち内日神社)・妙見社・稲荷社,寺院には浄土宗泰栄寺などが記される。明治元年,長府藩が政府駅逓寮に上申した駅里程・人馬賃銭は当村から豊浦郡貴飯村まで1里・150文,内日下村まで1.8里・270文であった(下関市史)。同4年豊浦県を経て山口県に所属。同7年植田学舎が創設されたが,同年には内日下村の城山小学に統合されて同校の分校となった(同前)。同16年の戸数131・人口662(県の統計百年)。同22年内日村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7424695
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ