ケータイ辞書JLogosロゴ 後河原(中世)


山口県>山口市

 室町期から見える地名。周防【すおう】国吉敷【よしき】郡のうち。嘉吉3年8月17日付の大内教弘証判善福寺敷地同寺領等注文に「院内四至……西限後川原」とある(寺社由来4)。下って,「中国九州御祓賦帳」享禄5年分に「うしろかハら若江太郎左衛門」などとあり(県史料中世上),永禄12年11月25日付の渡辺左衛門・同小三郎・山県備後守宛毛利元就条書に「息渡辺小三郎,後河原追討数ケ度鎚下之高名之事」とある(閥閲録遺漏2‐4)。また,天正20年2月9日付で蔵田就貞が佐世元嘉・二宮就辰に提出した覚にも「防州於山口,大内輝弘打入候時,後河原ニて一番首仕御感状被下置候事」とある(閥閲録126)。当地には,大内氏重臣の屋敷があったらしく「大内古図」を見ると内藤氏・周布氏・右田氏・杉氏・入江氏・陶氏らの名がある。この杉邸・内藤邸については,弘治2年の杉重輔と内藤隆世の争いの記事が載る「大内様御家根本記」(県史料中世上)に「三月二日に後河原杉殿館へ被寄懸候,内藤隆世ハ西方寺に陣を召れ,後河原を中に取りて卯ノ刻より午ノ刻迄合戦候,難成候故上下より火を懸候折節,風も吹出たる儀ニ候得ば,彼火山口中に飛ちり,御屋形様御館を初山口片時之間に一へん仕候」とある。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7424734
最終更新日:2009-03-01




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