ケータイ辞書JLogosロゴ 内日郷(中世)


山口県>菊川町

 鎌倉期〜戦国期に見える郷名。長門国豊西【ぶんざい】郡,のち豊東【ぶんとう】郡のうち。元応2年6月7日の某朝義打渡状写(住吉神社文書/住吉神社史料上)に「長門国一宮庄散在内日中野」と見える。この中野については比定地未詳。その後,康暦2年6月13日大内満弘預状(閥閲録71)に「長門国内日郷」と見え,応永14年6月17日沙弥某寄進状(原書不明忌宮関係古文書写/忌宮神社文書)には「豊西郡内日村」と見えて土貢15石地が二宮社常灯料所に寄付されている。また,天正17年5月3日一宮神領付立(住吉神社文書/住吉神社史料上)には「一,米弐拾八石四斗五升 豊東郡岡枝郷ニ在之 但内日郷分共」とあって,一宮の社領もあったことがわかる。近世中期以降,内日上・内日下という呼び方が行われるが,田部川をもって上・下に分けられる。だが,中世にいわれる内日郷は,このうち内日下の方を指し,内日上は赤田代・一之瀬の名などで呼ばれた。慶長の「長門国絵図」では,豊東郡に属して高2,006石4斗5升。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7424748
最終更新日:2009-03-01




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