ケータイ辞書JLogosロゴ 大市町(近世)


山口県>山口市

 江戸期〜明治22年の町名。山口町のうちの1町。江戸期は単に大市とも称する。石州街道に沿い,東は下竪小路・堂ノ前町,西は中市町に続く古くからの山口の中心街で,中市町とその西に続く米屋町(晦日市)を含めて大町と総称されていた。町のほぼ中央から北に諸願小路がある。当町には毛利家ゆかりの大商人横屋家をはじめ,三刀屋・大津屋・菊屋・杉屋などがあり,「注進案」にこれらの所蔵文書多数を所収。その横屋家文書の慶長4年9月1日付の山口大市下札によると面3間5尺,入38間3尺,後3間4尺5寸とあり,街道筋に面した表口の割に奥行の深い地割をされていたことが知られる。また同書に,道場門前の小泉屋菊平所蔵文書,萩町の川瀬善五郎文書,同町の長谷川惣兵衛所蔵文書を載せており,ともに慶長11年6月26日,佐世長門守らの連署で,「山口町大市之内,御方抱来候屋敷壱ケ所分銭」などとみえる。山口祇園会には当町から飾山鉾を出すが,その鉾は隣町の中市町・米屋町(晦日市)と三日月鉾・ももの鉾・菊水鉾の三つを3年交代に担当するのが慣例であった(注進案)。宝暦年間の家数8(古実類書集)。明治12年の周防長門諸郡一村限地券税帳によれば,田畑はなく,宅地1町5反余。同16年の戸数41・人口181(県の統計百年)。同22年山口町の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7424835
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ