ケータイ辞書JLogosロゴ 小野保(中世)


山口県>山口市

南北朝期〜戦国期に見える保名周防【すおう】国吉敷【よしき】郡のうち佐波【さば】郡にも小野保があるが,吉敷郡のものが小野保とあるのに対し,佐波郡のものは上小野保・下小野保と区分して記される(周防国府の研究)暦応3年2月13日,大内長弘は土屋・森両氏に宛てて「小野保寺社三職并権現堂敷地免田」の渡付を命じている(阿弥陀寺文書/県風土誌13)これは当地のことか下って戦国期の大永8年8月13日,大内義興は勝興寺宥曉律師に「小野村内四石壱斗地」を安堵し,天文17年2月27日には大内義隆が「小野村勝興寺住持職」に権律師宥忠を補任している(注進案12)また,弘治3年3月20日付の周防国分寺僧覚円の手日記(寺社証文22)に「吉敷郡小野保内法花寺領弍町弍段……近年問田殿大方押務之事」と見えて,周防国分尼寺(法華寺)の寺領があった毛利氏の天正検地では,従来の国分寺・法華寺の寺領が安堵されているが,その中に小野の名がある(同前)小野は江戸期には問田村のうちとなった
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7424994
最終更新日:2009-03-01




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