ケータイ辞書JLogosロゴ 吉部郷(中世)


山口県>むつみ村

 南北朝期〜戦国期に見える郷名。長門【ながと】国阿武【あぶ】郡のうち。文和元年8月10日付の大井八幡宮御祭礼諸郷鼓頭出仕座配本帳には左座五番に「吉部郷」が見える(大井八幡宮文書)。永正5年書写の大井郷八幡宮御済納米銭役人文書によれば,当郷は米7斗3升2合・銭275文・田楽1人・相撲1人を負担することになっている(寺社由来7)。また,当郷には山口善福寺領や氷上山興隆寺領もあった。善福寺寺領注文には「阿武郡吉部郷領家方内土貢拾石」と見え,応永34年の「国清寺殿(大内盛見)御判」に任せて,嘉吉3年大内教弘,文正元年大内政弘,明応5年大内義興と大内氏歴代が安堵している(寺社証文14)。永享9年2月12日には大内持世が氷上山安楽坊に「吉部郷内〈君谷跡〉」などを寄進しており,大永7年7月19日には大内義興が氷上山東坊に「吉部郷内六石地」などを安堵している(同前11・13)。文明3年の注進状に「大内道頓(教幸)ら尾阪山(大将山)より木部郷飛石山に執寄り」とある(益田家文書/阿武郡志)。このほか,弘治2年6月18日付の能美重友宛大内義長感状には「去三月廿五日於長州阿武郡木部郷合戦」と見え(閥閲録157),天正8年11月15日には吉見広頼が吉賀頼貞に「吉部郷内須賀谷弐石五斗足」などを宛行っている(同前143)。この間,伊勢神宮御師の「中国九州御祓賦帳」享禄5年・永禄7年・元亀元年・天正14年各年の分に「きへの神宮寺」「きへ五郎屋敷」「きへ内藤殿」などと見える(県史料中世上)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7425220
最終更新日:2009-03-01




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