ケータイ辞書JLogosロゴ 玖珂三市(近世)


山口県>玖珂町

江戸期の村名周防【すおう】国玖珂郡のうち島田川支流の水無川が形成した扇状地に位置する山陽道の宿駅として栄えた玖珂本郷村の首邑で,本郷市・新町市・阿山市の3市から成る岩国藩領村高は,玖珂本郷村に一括して計上される場合が多いが,「享保増補村記」では152石余,「旧高旧領」では157石余と記す当初,本郷市と阿山市が近接して別個の市町を形成していたが,のちに中間に新町が形成されて3市となったもので,屋敷数は慶長15年検地帳に72,「享保増補村記」では156とあり,人数の記載はない同書によると,本郷市は市頭から柳井小路まで長さ3町40間,屋敷60,新町は柳井小路から水無川原まで2町35間半,屋敷37,阿山市は水無川原から市尻まで3町8間,屋敷59,川幅11間を含め3市の全長9町34間半,市は月5回,阿山が2日と20日,本郷が7日と24日,新町は11日を市立定日とした延宝4年,玖珂組9か村を統轄する代官が置かれ,「御茶屋」の中に代官役所が設けられた「御茶屋」はもと阿山市にあったが,代官所設置の翌年本郷市北側に移転「御高札場」は新町北側に,「天下送り番所」は市頭に近い本郷市北側にあった(玖珂郡志)村内には寺院が多く,街道の北側に真宗蓮光寺・明覚寺・聞光寺,曹洞宗祥雲寺(本郷市),真宗大福寺・浄土宗浄光寺(新町),真宗万久寺(阿山市)の7か寺があった享保2年本郷のことごとくを火災で焼失し,代官所・明覚寺も類焼(御用所日記)寛保3年には茶屋ほか57軒,寛延3年には新町から出火して64軒を焼失(玖珂町誌)聞光寺の住職富山秀意は,寛延2年木綿縮の製作に成功して岩国縮の元祖となった明治初年,玖珂本郷村から分離したが,明治5年に再び同村のうちに含まれた
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7425265
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ