ケータイ辞書JLogosロゴ 須川村(中世)


山口県>錦町

 戦国期に見える村名。周防【すおう】国玖珂【くが】郡のうち。山代のうちの八ケ(八ケ村)に属す。天正13年11月10日,毛利輝元は堅田元慶に「山代之内須川」を宛行った(閥閲録10-6)。当村の散使(代官)は,周防国山代四箇郷検地前付立によれば,東又七郎が任じられていた(毛利家文書4/大日古)。同14年正月6日,東左京進(東又七郎か)の推薦により当村の土豪三家本宗右衛門が「須河散仕役」に任命されている(注進案3)。年未詳の正月28日付毛利輝元判物(同前)では三家本宗右衛門の補任された散仕役のことを「須川之村下使」とあり,支配機構の末端に位置する下役であろう。彼は天正8年10月2日,須川村において田地1町9反余と屋敷1か所を打ち渡されている(同前)。そのときの打渡坪付によると,彼の給地は小村ぬた・大くぼ・古江のうちに集中している(三家本秋生家文書)。なお「大永記録」では須川畑と見え,大将軍,古江谷,沼田,足谷等の地を含む。当村の刀禰は宇佐川左馬允とある(山代温故録)。天文年間の「竹内正虎記録」では須川畑の刀禰と思われる讃井弾正少が見える(山代温故録)。「注進案」の宇佐郷大原村の項によると,讃井氏はもと大内家に仕えたが,文亀元年に讃井弘景は同僚の右田孫九郎と口論して追放され,のち問田氏の取成しで帰参した際,大内氏をはばかって宇佐川と改姓したという。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7425634
最終更新日:2009-03-01




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