ケータイ辞書JLogosロゴ 問田(中世)


山口県>山口市

 南北朝期から見える地名。周防【すおう】国吉敷【よしき】郡のうち。永徳2年2月13日付の大内義弘書下に,氷上山興隆寺の二月会射手役について「問田者弓太郎可為定役矣」とある(注進案12)。下って「中国九州御祓賦帳」永禄7年分に「といた 金花」「といた 高津殿」「同 寺内殿」と見える(県史料中世上)。小早川家系図(小早川家文書2/大日古)の小早川隆景夫人の注記に「室小早川美作守正平女 後在周防国吉敷郡問田 故称問田大方」とあり,また年未詳7月27日付の椋梨満平口上覚控(同前1/同前)にも「隆景様御簾中様,隆景様被遊御逝去以後,山口といたに被御座候」と見え,小早川隆景夫人慈光院が当地に隠棲したことが知られる。なお,大内氏の庶流問田氏が代々当地を知行し,金花山の北麓にその居館があったといわれる。貞治4年6月11日の防府天満宮棟札写(注進案10)に結縁衆の筆頭として問田多々良弘有の名が見える。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7425914
最終更新日:2009-03-01




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