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- 長田郷(中世)とは
「長田郷(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 長田郷(中世) 鎌倉期~南北朝期に見える郷名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 長田郷(中世) 鎌倉期~戦国期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 長田郷(中世) 戦国期に見える郷名諏訪郡のうち御射山祭の際の大祝宿所を造営する人夫を出すよう,旧規通り6か郷に命じた永禄9年閏8月25日の武田信君等奉書案の宛所に中村・村岡・原・木之間・湯川の諸郷とともに「長田之郷」が見える(金子文書/信史13)永禄9年9月3日の諏訪社上社造営再興次第には,玉尾社・柏手社の宝殿・瑞籬・鳥居は旧帳の記載通り,「諏方郡山浦之古田・長田・村岡」3か郷の所役とすべきだが,小郷のことゆえ瑞籬・鳥居の儀は免除すると述べられている(諏訪大社上社文書/同前12)なお天正7年2月16日の武田勝頼朱印状写では,長田文右衛門尉ら3名に玉尾・柏手両社の期限内の造営を命じており,当郷の領主と推定される(諏訪文書/同前14)当地は江戸期の上古田村・下古田村を中心とする山浦地方に含まれることから,現在の茅野【ちの】市豊平付近に比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」