- JLogos検索辞書>
- 萩(中世)とは
「萩(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
![]() | 萩(中世) 戦国期に見える郷名萩生【はぎう】ともいう(黒川郡誌)黒川郡のうち南は旧品井沼湿原,北は鶴田川が東流し,その中間,西から突出した長い丘陵の東端に当たる地現在の大郷【おおさと】町粕川【かすかわ】木ノ崎および大松沢成田川を合わせた地域萩が多く茂っていたことから呼ばれた地名であろう初見は「伊達正統世次考」天文11年秋8月29日の条(戦国史料叢書伊達史料集下)同書に「晴宗公(伊達)判書を宮沢又六実家に賜いて曰く,萩・大松沢二郷の田役・棟役直納に之を上るべし」,また,同15年11月11日同人宛「本領前々の如く,棟役・田銭直納たるべし」と見える宮沢家の家譜にも萩・大松沢を拝領したことが見える(伊達世臣家譜)「晴宗公采地下賜録」に宮沢左衛門あて下賜の「おき・おほち両郷知行のとおり」とある「おき」はこの「萩」に当たるであろう江戸期に入り,宝暦5年の村高に萩生村が入っているが貫高の記載がなく,その後村名が見えない(黒川郡誌)寛永年間の郡村確定の際除いたのであろう丘陵上の嶺境に南を粕川村,北を大松沢に分割し,萩生村の名を消したのである |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 萩(中世) 戦国期にみえる地名石見国邇摩【にま】郡大家【おおえ】荘東郷のうち弘治2年4月11日付の「毛利元就知行宛行状」(金子家文書/新県史史料編1)に,「大家東郷之内,萩,七原,蒋江三ケ所」を物御神社社家金子左衛門大夫に与えるとある現在の比定地は明らかでないが,現在の大田【おおだ】市の西南端と考えられる今日この近くには「荻」「中荻」などの地名が存しており,「萩」はあるいは「荻」の誤りではないかと考えられる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」