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深野村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
深野村(近世) 江戸期~明治初期の村名伊勢国飯高郡のうち櫛田川上流,同川とその支流蓮【はちす】川が合流する付近に位置する集落は,川俣【かばた】谷の谷盆地にある櫛田川中流域にも深野という地名があり,当地は,同川上流に位置することから上深野と呼ばれたともいうはじめ松坂藩領,元和5年から紀州藩松坂領波瀬組に属す村高は,「元禄郷帳」128石余,「天保郷帳」50石余,「旧高旧領」138石余神社は天神祠(勢陽五鈴遺響),寺は曹洞宗加福院がある天神祠は明治以降黒滝神社と改称和歌山街道が通っていた明治4年度会【わたらい】県に所属明治2年の戸数23・人口131(うち男72・女59),村高139石余,牛14,産物は米・麦・粟・稗・蕎麦・大豆・小豆・芋・煎茶・串柿・芋茎を産し,畑がちである(大指出帳)明治初期森村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
深野村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
深野村(近世) 江戸期~明治8年の村名豊後国大野郡三重荘のうち大野川と同川支流三重川の間の台地上に位置する文禄3年福原直高領,慶長2年太田一吉領,同5年からは臼杵【うすき】藩稲葉領村高は慶長2年251石余,うち田152石余・畑99石余,村位は上(三重郷御検地帳),「正保郷帳」「見稲簿」同高,はじめ宮尾村組,のち宮尾組に所属「天保郷帳」258石余,「旧高旧領」251石余天保10年臼杵藩収税所を字細長におき,三重郷1万石を収納する(臼杵時代考)明治4年大分県に所属同8年宮尾村と合併して宮野村となる現在の大野郡三重町大字宮野のうち... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
深野村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
深野村(近世) 江戸期の村名豊前国築城【ついき】郡のうち城井【きい】川中流左岸に位置する小倉藩領安武手永に属す村高は,「正保国絵図」510石余,「元禄国絵図」569石余,「天保郷帳」825石余,「旧高旧領」821石元和8年の家数81・人数171,牛24・馬9(人畜改帳)享保の飢饉では218人が餓死(開善寺過去帳)享保9年上深野村と下深野村に分かれる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」