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- 堀村(中世)とは
「堀村(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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堀村(中世) 鎌倉期に見える村名相模国淘綾【ゆるき】郡南波多野荘のうち文保2年2月28日の南波多野荘公文僧覚弁請文に,「南波多□(野)庄堀村大蔵薬師堂院主職事」と見え,当村は南波多野荘内に含まれており,当村の大蔵薬師堂院主職は極楽寺殿以下赤橋流北条氏3代(重時・長時・久時)より補任されていることが知られる(相文/県史資2-2115)さらに,同年3月28日には,赤橋守時が同院主職に出雲房有弁を補任している(同前2117)江戸期には,堀斎藤村・堀沼城村・堀川村・堀山下村を堀4か村と称した現在の秦野【はだの】市堀西・堀川・堀山下の一帯に比定される |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
堀村(中世) 戦国期に見える村名周防【すおう】国吉敷【よしき】郡のうち元亀3年5月21日の毛利輝元安堵状(閥閲録36)に原久左衛門尉の知行7斗の地として「矢田令堀村在之」と見える天正5年5月10日原久左衛門尉武信譲状(同前)にも「少(ママ)給地」として同様のことが見える当村は中世には矢田令に属したが,近世においては矢田村に隣接する御堀村の小名に「堀」があり,その地ではないかと推測される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
堀村(中世) 織豊期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」