ケータイ辞書JLogosロゴ 浅河郷(中世)


徳島県>海南町

 鎌倉期に見える郷名。海部郡のうち。嘉禎3年5月4日の官宣旨には「当院領阿波国管那賀郡海部并浅河・牟岐参箇郷事」と見える(九条家文書6/図書寮叢刊)。本文書によれば,当郷をはじめとする三箇郷は,本主謀反の罪により久しく幕府に没収され,将軍家から地頭が補され国使不入の地となっていたが,のち地頭藤原定員によって山城最勝金剛院に寄進されるに及んで不輸荘として,官物・国役を免除すべき旨が論じられている。なお本文書では,当地の様相について「件地之為躰,後得峨峨之深山,前望漫漫之蒼海,田畠狭少,人民如無」と記している。その後,郷名としては見えないが,元亀3年正月の「故城記」奥書(徴古雑抄3)に「浅川城 兵庫頭」と見え,「三好家成立之事」には「浅川ニハ兵庫頭有辰」とある(群書21)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7426939
最終更新日:2009-03-01




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