ケータイ辞書JLogosロゴ 大野新荘(中世)


徳島県>小松島市

鎌倉期〜戦国期に見える荘園名那西郡のうち平治元年閏5月日の宝荘厳院領荘園注文(東寺百合文書/平遺2986)に見える「阿波国大野庄」は,本所(本家)を宝荘厳院,領家を藤原季行とする荘園であるが,鎌倉期の元久元年8月23日の九条兼実一筆譲状(九条家文書/阿波国荘園史料集)には,家領の1つとして「阿波国 大野庄〈本・新〉件両庄祖母尼公領也,歓楽之後,小童〈摂政也〉可知行之旨,先年示置了」とあり,当時当荘は本荘・新荘に分かれており,九条兼実から子の摂政良経に領家職が譲られたことが知られるついで良経の子道家に伝領されたらしく,建長2年11月日の九条道家惣処分状(九条家文書/鎌遺7250)によれば,道家の孫九条忠家に譲与された荘園の1つに「阿波国大野新庄〈宝荘厳院領〉」が見え,以降当荘の領家職は九条家に伝領された下って永仁5年8月日の御所大番役定書案(同前/鎌遺19439)には「十月……大のゝしん庄」とあり,10月に結審されているなお年月日未詳の諸御領仏神事役等注文(九条家文書5/図書寮叢刊)に「阿波国 大野新庄〈近年無沙汰〉成就宮祭禄布一段 月輪殿(九条兼実)御影供三箇日〈日別百文〉〈無沙汰〉宜秋門院八月御月忌用途五百文 彼岸御懺法非時一具〈一音院非時用途足歟〉洞院殿御忌日御経一部〈代五百文〉」とある下って南北朝期の建武3年8月24日の左大将(九条道教)家政所注進当知行地目録案(九条家文書1/同前)の当知行分の中に「阿波国大野新庄〈領家職〉」が見える一方,鎌倉期の正安元年8月17日の渋谷重世譲状案(入来院岡元家文書/鎌遺20208)によれば,子息に譲与された所領の1つに「一所 あわの国大野新庄北方内六方,重世ちきやうのふん,しゝさかひ,本わけ状にみえて候」とあり,当荘内の「北方内六方」が重世の知行下にあったことが知られる下って正慶元年8月日の渋谷重頼外四名連署紛失証状(岡元家文書/新訂入来文書)には「阿波国大野新庄内北方田畠在家山海荒野八等分三方御使分帳事」とあり,文保2年の火事の時紛失したので,尋ねがあったときは証言する旨を定めているまた元亨2年8月18日の渋谷静重譲状(同前)によれば,尼教阿に後家分として「阿波国大野新庄立江内⊏⊐(八分カ)壱地頭職」を譲与しており,一期ののちは子の重知・重文・乙童女3人に等分に譲るよう定めている南北朝期の建武元年12月19日の渋谷定円(重基)外六名連署和与状(同前)によれば,故渋谷重氏の所領について,重氏女子と渋谷重躬の子息鬼益丸の間で相論が起きており,女子分とすることで和与されている下って戦国期の天正13年5月14日の九条家当知行并不知行所々指出目録案(九条家文書1/図書寮叢刊)の「九条殿不知行分目録」の1つに「阿岐(波)国 一,大野新庄」とある荘域は現在の小松島市立江町を中心とした一帯に比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7427258
最終更新日:2009-03-01




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