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- 北庄村(近世)とは
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北庄村(近世) 江戸期~明治7年の村名神崎郡のうち愛知【えち】川下流域西岸に位置する地名は中世に山前北【やまさききたの】荘に属していたことによる(神崎郡志稿)初見は慶長7年の検地帳(宮荘共有文書)はじめ幕府領で,代官は小堀氏,寛文元年上野館林【たてばやし】藩領,天和3年再び幕府領,貞享2年大和郡山【こおりやま】藩領となり幕末に至る村高は江戸期を通じて1,126石余(寛永高帳・元禄郷帳・天保郷帳)享保9年の戸数123・人口917(金堂共有文書)助郷は中山道武佐宿に出役鎮守は五個神社村内の真宗行願寺はもと天台宗であったが,永正16年に改宗当地の医師中村造は,かたわらに時習斎という学舎を開いたまた明治初期に殖産・教育振興につとめた油屋野村単五郎は油単【あぶぜん】の名で知られる(神崎郡志稿)明治5年滋賀県に所属同7年宮荘【みやしよう】村と改称 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
北庄村(近世) 江戸初期の村名美作国久米南条郡のうち慶長7年9月3日の栗生吉兵衛知行方目録(黄薇古簡集)に「二百三十七石六斗 同郡(久米南条郡)北庄村内」と見え,小早川秀詮(秀秋)から安堵されている比定地は未詳... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」