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- 木津(中世)とは
「木津(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 木津(中世) 鎌倉期に見える地名周防【すおう】国佐波【さば】郡のうち「東大寺造立供養記」(県史料中世上)によれば,文治2年春,東大寺造営料国として周防国が東大寺へ寄進され,重源ら10余人と宋人陳和卿・番匠らは周防の杣へ分け入って造営用の良木を求め,佐波川の「木津」から材木を流したという杣山より材木を佐波川へ津出しした所を木津と呼んだとみられるが,その位置は,「東大寺造立供養記」では海からさかのぼって7里(252町)の距離という三谷川と佐波川の合流点に「きわず」という小字があり,それは木津の転訛とも考えられるが,永正7年11月12日の佐波郡山行事補任状(阿弥陀寺文書/防府史料28)の引用する重源筆と伝える文書によれば,木屋所が三谷・引谷の2か所に設けられたといい,引谷川と佐波川との合流点にも木津があった可能性もある元徳2年2月日の大行事某下知状(同前)によれば,「下得地保引谷山木津」が船地村下庄のうちと号して乱妨されたという引谷山麓にあった木津をめぐって境相論が発生している |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 木津(中世) 鎌倉期にみえる地名出雲国神門【かんと】郡のうち文永8年の「杵築大社御三月会相撲舞御頭役結番事」に,4番に属する相撲頭役の1所として,「木津御島一向畠地云々」とみえ,地頭は乃木四郎子であった(千家文書/新県史史料編1)建長5年の「近衛家領目録」(近衛家文書)にみえる木津島も同一地域か現在の佐田町大字毛津【けづ】に比定されている(旧県史6)... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」