ケータイ辞書JLogosロゴ 宍喰浦(近世)


徳島県>宍喰町

 江戸期〜明治22年の村名。海部郡のうち。徳島藩領。村高は,寛文4年の高辻帳で枝村の久保村・日比原村・尾崎村・久尾村・船津村・塩深村・角坂村・芥附【くぐつけ】村・広岡村・那佐村・竹カ島・要村・日浦村・北河内村・日比宇村・中野村・僧都村・阿瀬河村・東谷村を合わせて1,720石余,享保元年の高辻帳,天明7年の高辻帳,「天保郷帳」も同高。「旧高旧領」では,久保村・日比原村・尾崎村・久尾村・船津村・塩深村・角坂村・芥附村・広岡村および枝村であったと思われる小谷村が別々に記され,宍喰浦の高は777石余。また「阿波志」では,先の各村は別に記され,当村には「支落一曰那佐為除地」と見え,高602石,戸数268・人数750,那佐の戸数20・人数64,耕作地は,早遅二稲を植える水田16町,沼地9町余,晩稲を植える陸田10町1反,陸田は水が乏しく,水田は水損が多いが,旱損は少ないとある。当村はその立地から漁業を主とした。文化9年の棟附帳によれば人数1,424・家数334とあり,家数のうち268軒は加子であった。加子は藩の水軍の予備水夫で,普段は漁業を行い,10〜20匁の加子役銀を負担し,事あると水軍の本拠地安宅に召し出された。この場合は加子役銀を免除された。神社は宍喰浦に愛宕社・天神社など,那佐に岬社・三島社があった。寺院は大日寺・円頓寺(駅路寺)・真福寺・願行寺・正法寺。明治4年徳島県,同年名東【みようどう】県,同9年高知県を経て,同13年再び徳島県に所属。「海部郡村誌」によれば,税地は田62町8反余・畑22町3反余・宅地7町3反余・山林(旧反別)259町2反余,明治9年調の戸数372・人数1,550ほかに他出寄留34,牛8・馬37,舟は500石以下200石以上日本形船1・200石以下50石以上日本形船3・荷船12・漁船78・川船16,学校1,村役場1,警察交番所1,郵便局1,物産は米・麦・大豆・大角豆・甘薯・蘿蔔・菜種・蕎麦のほか,漁獲物として鰹・鮪・鰺などがあり鰹節・布海苔とともに他府県へ送っていた。同22年宍喰村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7427784
最終更新日:2009-03-01




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