ケータイ辞書JLogosロゴ 四方原(近代)


徳島県>海南町

 明治22年〜現在の大字名。はじめ川東村,昭和30年からは海南町の大字。明治24年の戸数115・人口591(男296・女295),厩43,寺1,船2(徴発物件一覧表)。昭和38年にできた八興繊維工場は,海部郡下灘地方一の企業であったが,繊維不況により不振となり,代わって工場跡に大規模スーパーやパチンコ店が進出している。当地が急速に発展したのは,昭和40年代以降である。国道55号が地内を貫通し,昭和48年には国鉄阿佐東線(牟岐線)の一部開通に伴う阿波海南駅が開設されるなど,交通の中心となり,海南町の玄関口の役割を果たすようになった。阿波海南駅前広場周辺の商店も年次増加しつつあり,駅より西の水田地帯には,花卉栽培団地ができている。字旭町にある海南小学校は昭和55年に鉄筋3階建本校舎が竣工,地域の人々は教育に熱心である。またレジャー・スポーツ施設として,かりと坂の南下にゴルフ場やテニスコートができたほか,海南駅前にゲートボール場ができている。昭和57年の世帯数230・人口763うち四方原上52・152,四方原下48・161,旭町東68・232,日浦24・94,旭町西38・124。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7427810
最終更新日:2009-03-01




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