ケータイ辞書JLogosロゴ 清水(近代)


徳島県>三野町

 明治22年〜現在の大字名。はじめ三野村,大正13年からは三野町の大字。明治24年の戸数185・人口971(男487・女484),学校1,船2(徴発物件一覧表)。藍の衰退後は養蚕が盛んとなり,明治30年以降第1次大戦後まで絹糸の需要が大きく,生産に励んだ。養蚕の衰退と昭和6年以降の食糧増産の要請もあって,自然用水のほかに昭和11年には吉野川の伏流水を揚水する清水揚水施設をつくり,水田化をはかり,清水前島(川中島)の西半分も桑園から水田化された。大正9年の世帯数164。同11年局地的な旋風(竜巻)が発生,当地の家屋の8割は全壊・半壊などの被害にあった。第2次大戦後再び養蚕が盛んとなり,改良簇の使用や春・初夏・土用・秋・晩秋の年5回の飼育などにより生産性が向上,繭生産量は昭和45年3万8,760kg,同48年には5万5,036kgと増加の一途をたどっている。米作と養蚕との純農村である。世帯数・人口は,昭和36年186・907(男453・女454),同45年165・645(男304・女341),同55年163・635(男300・女335)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7427818
最終更新日:2009-03-01




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