ケータイ辞書JLogosロゴ 多良村(近世)


徳島県>海南町

 江戸期〜明治22年の村名。海部郡のうち。徳島藩領。村高は,寛文4年の高辻帳で231石余,享保元年の高辻帳,天明7年の高辻帳,「天保郷帳」とも同高,「旧高旧領」では311石余ですべて蔵入地。土佐街道沿いに位置し,「阿波志」では耕作地の10分の6が陸田,10分の4が水田,旱損少,戸数23・人数98とある。沢に真言宗古義派高野山金剛峰寺末西法寺がある。建物は方丈庫裏1棟,桁7間・梁3間半,本尊薬師如来,そのほかに弘法大師・地蔵尊・観音像などを安置(海部郡誌),慶応4年再興という(海部郡村誌)。なお境内に戦国期の小五輪塔1基・同中五輪塔1基が,天正年間の小五輪塔6基・小五輪塔1基が残る。神社には楠王神社がある。明治4年徳島県,同年名東【みようどう】県,同9年高知県を経て,同13年再び徳島県に所属。「海部郡村誌」によれば,税地は田24町1反余・畑4町3反余・宅地1町1反余・山林(旧反別)1町6反余,明治9年調の戸数44・人数227,馬23,物産は米・麦・大豆・蕎麦・小麦・甘薯,ほかに鰻鱺があげられ,質が良く,量は少しだが徳島へ送るとある。同22年川東村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7428067
最終更新日:2009-03-01




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