ケータイ辞書JLogosロゴ 東川田村(近世)


徳島県>山川町

江戸期〜明治4年の村名麻植【おえ】郡のうち慶安年間に川田村が東川田村と西川田村に分村して成立(山川町史)徳島藩領村高は,享保元年の高辻帳で1,417石余,天明7年の高辻帳と「天保郷帳」も同高文化9年の阿波国郡村仮名付帳(山川町教育委員会蔵文書)では,西川田村は当村の枝村とされ,この高には西川田村分も含む文化10年の阿波国村々御高都帳による当村の高は704石余(民政資料)明暦2年の棟附帳(山川町教育委員会蔵文書)によると家数55,その階層構成は30石以上4,20〜30石未満2,1〜20石未満45,1石未満層4となっている文化5年の棟附帳(同前)による人数1,793文化11年藩は勧農普請として瀬詰村湯立から東流していた川田川に長土手を築き,本流を北流させたが,この工事における当村小高取格原田辰次郎の功績は多大であった(山川町史)弘化年間には眠淵の堤防に給人の長谷川氏が暗渠を設け,川田川の東側を北に通水する東用水が完成した東用水は28町に農業用水を供給した寺院に西福寺・潮光寺がある明治4年川田村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7428508
最終更新日:2009-03-01




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