ケータイ辞書JLogosロゴ 東山村(近世)


徳島県>三好町

 江戸期〜明治22年の村名。三好郡のうち。徳島藩領。村高は,寛文4年の高辻帳では133石余,享保元年の高辻帳,天明7年の高辻帳でも同高,「天保郷帳」529石余,「旧高旧領」では622石余ですべて蔵入地。なお文化10年の阿波国村々御高都帳では597石余とある(民政資料)。農作物は米・麦・雑穀・煙草・藍が主で,江戸後期に入ると甘藷・柿・ミカン・茶の栽培も行われた。各棟附帳によると,延宝2年の家数201・人数610,高299石余,また明和元年の家数343・人数1,740となっている(三好町誌)。また「阿波志」による寛政年間の戸数410。神社は古代忌部族と深い関係のある鷲羽神社,寛保神社帳に記される馬岡神社のほか10社を数え,当村の人々の信仰の篤さを物語っている(県神社誌)。寺院には明暦3年開基の徳善寺がある。天保13年年貢の軽減と商品経済の自由化を求めて上郡一揆が起き,当村の農民もその多くが加担,組頭庄屋を勤める足代村庄屋宅への打毀に参加した。明治4年徳島県,同年名東【みようどう】県,同9年高知県を経て,同13年再び徳島県に所属。「三好郡村誌」によれば,税地は田21町1反余・畑191町9反余・宅地15町2反余,明治9年調の戸数438・人数2,111,牛209・馬50。農産物は米麦・雑穀のほか煙草がつくられた。特に当地の煙草は極めて良質で,生産高も多く,他村へも販売され現金収入の中心となっていた。明治22年昼間村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7428539
最終更新日:2009-03-01




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