ケータイ辞書JLogosロゴ 久国(近代)


徳島県>勝浦町

 明治22年〜現在の大字名。はじめ棚野村,大正15年横瀬町,昭和30年からは勝浦町の大字。明治24年の戸数82・人口408(男210・女198),厩47,寺1,学校1,船1(徴発物件一覧表)。純農村を形成し,戸数のほとんどは農業に従事していた。農作物は米麦中心で,特産のミカンは明治期に払い下げられた林野を造園して栽培が始まった。養蚕・養鶏も盛んになった。明治23年久国小学校は生比奈尋常小学校と改称。明治期以後も人形座の国村久太夫座は大宮八幡神社祭礼時などに盛んに興行し,近隣の人々を楽しませたが,昭和7年に焼失し中断。明治38年創設の久国青年会は,近隣では比較的早い時期のもので,人形座の運営にもあたった。定期バスも地内を通り,昭和初期には道路改修も進展。大正15年生比奈村横瀬町組合立高等農業補習学校が地内に設置,その後生比奈村横瀬町組合立産業学校と改称,昭和5年中絶。同9年には大井堰が整備されたほか,ミカン農園の開墾も進められた。第2次大戦後横瀬農協が結成され,地内のミカン栽培の振興が図られ,ミカン農園開墾も進められた。昭和22年には吉井座(現阿南市)を買い取り人形座が再興され,勝浦座として発足した。昭和29年のミカン生産は,2万3,781貫となっている(勝浦町後史)。また昭和30年代以後地内に商店街が形成された。昭和44年のミカン価格暴落以後,ミカン景気低迷が続くなかで,地域産業の転換が問われた。昭和46年に農業技術センターが発足し,地域の人々の期待を集めている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7428548
最終更新日:2009-03-01




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