ケータイ辞書JLogosロゴ 三谷村(近世)


徳島県>穴吹町

 江戸期〜明治22年の村名。美馬郡のうち。徳島藩領。村高は,寛文4年の高辻帳,享保元年の高辻帳,天明7年の高辻帳ともに173石余,「天保郷帳」177石余,「旧高旧領」46石余うち蔵入地41石余,森甚作知行5石。文政11年の美馬郡村々取調帳(新編美馬郡郷土誌)では高203石,成米77石,反別94町となっており,約78%が徳島藩筆頭家老稲田九郎兵衛知行地,村の規模は東西約25町・幅約20町,家数171・人数710となっている。寺院には真言宗大覚寺派の観音寺があり,行基の開基で弘法大師作の八臂弁財天を安置すると伝える。享保17年僧祐義が中興し,宝暦4年稲田氏から御供米・神輿の寄進があった。神社には旧村社の八幡神社がある。寛保神社帳(続徴古雑抄1)には正八幡宮として見え,神主は当村岩山薩摩とある。「阿波志」によれば,土田は中の下,陸田10分の8・水田10分の2,反別23町4反余,村高177石余ですべて采地,戸数137。明治4年徳島県,同年名東【みようどう】県,同9年高知県,同13年再び徳島県に所属。明治9年の戸数207・人口944(新編美馬郡郷土誌)。明治初期三谷小学校開校,明治期の産業は米麦中心の農業であるが,絹輸出の増加に伴い養蚕が盛んとなった。明治22年三島村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7428728
最終更新日:2009-03-01




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