ケータイ辞書JLogosロゴ 三野田保(中世)


徳島県>三好町

鎌倉期に見える保名三好郡のうち「吾妻鏡」文治元年6月5日条に所載された元暦2年6月5日の源頼朝寄進状に「奉寄 八幡宮御領壱処 在阿波国三野田保者 右件保者,所奉寄当宮神領也,早為少別当任賢沙汰,知行保務,為祈祷,以所当物,可令充神事用途之状,奉寄如件」とあり(国史大系),当保は源頼朝によって石清水八幡宮に寄進されたことが知られる下って,文永11年7月日の後善法寺宮清処分帳に石清水八幡別神領の1つとして「阿波国三野田保」が見え,権別当尚清に処分されている(石清水文書/大日古4‐6)善法寺尚清は永仁5年6月に処分帳を書き,これを権別当肇清に譲っているが,この時は三野田は「坊領」となっている(同前)さらに尚清は再び処分状を応長元年11月15日に書き,権別当康清に正八幡宮検校職とともに当保を譲っている(同前)その後,石清水八幡宮領としては史料に表れず,南北朝の動乱で当保は退転したと思われるが,南北朝期〜室町期に成立したと思われる「石清水八幡宮末社記」によれば,2月晦日の阿弥陀供養法の供料所として「阿波国三野田庄」が見える(続群2‐1)当保は現在の三好町足代に美濃田の地名があり,三好町域が当保の所在地に比定されているが,「三加茂町誌」では同町内の「和名抄」の三野郷域分も当保であったとしているなお江戸期の「阿波志」には「三野田荘 見東鑑,今足代村有三野田」とある
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7428773
最終更新日:2009-03-01




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