ケータイ辞書JLogosロゴ 宮倉(近代)


徳島県>羽ノ浦町

 明治22年〜現在の大字名。はじめ羽ノ浦村,大正7年からは羽ノ浦町の大字。明治24年の戸数150・人口846(男441・女405),厩33,寺1,船2(徴発物件一覧表)。同33年頃に沢田で石灰の採掘がはじめられたが明治末期に中止。昭和20年頃にも採掘されたが鉱脈が細く質も悪く,まもなく廃鉱になった。米麦中心の農業のほか山麓の畑作物および牛馬の飼育などが行われていた。大正6年当地の小笠原種太郎ほか3名が発起人となり耕地整理組合を創立,23町7反余の地に排水溝を新設し,牛馬耕のできる良田に改善。農家数は,昭和35年126,同40年117,同45年111,同50年99と減少。昭和48年から進められた農村総合整備モデル事業により,農業地域を中心として農道・圃場・農業用水および排水などが整備され,宮倉農村公園・宮倉研修センターなどが建設された。農機具の普及による省力化により,第2次産業従事者や兼業者数が増加し,米麦以外にキュウリ・キャベツそのほかの野菜栽培や園芸作物の栽培も増加傾向にある。字羽ノ浦居内の国鉄羽ノ浦駅は,大正5年阿南鉄道古庄〜中田間,大正8年阿南自動車古庄〜小松島間の開通,昭和12年国鉄牟岐線の一部,同17年国鉄牟岐線の全線開通とともに乗降客や貨物輸送が増加し,那賀川北岸地域の交通・運輸の拠点として発展,羽ノ浦居内と中庄字市を1つにした商業地域は活況を呈した。しかし昭和30年代後半から自動車が増加し,同44年に国道バイパス開通,昭和50年代に入って大型スーパーなどが国道55号沿いに開店し,旧来の商業地域の伸展はやや停滞気味である。昭和45年より春日野団地建設の進行とともに人口は急増した。世帯数・人口は,昭和45年312・1,253,同50年1,205・4,118,同55年1,424・4,974。昭和55年には羽ノ浦町全体の世帯数の46%余,人口の43%余を占めた。住宅地域春日野団地では,春日野児童公園・春日野公民館・下水処理場・さくら保育園・中央公園・春日野老人憩の家・働く婦人の家などの設備も完備している。また,昭和53年には総合町民体育館が沢田に建設され,同年字太田に木内学園はのうら幼稚園が開園,同58年には字羽ノ浦居内に私立あざみ保育園が開園。旧来の商業地域に対し,団地内のスーパーやその他商店の開店をはじめ,国道55号沿いへのスーパーの進出により,地内の商業地域は北に向かって拡大している。宮倉は田園と住宅と商業地域として発展している。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7428786
最終更新日:2009-03-01




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