ケータイ辞書JLogosロゴ 岩黒島(近世)


香川県>坂出市

 江戸期〜明治23年の村名。塩飽島のうち。幕府領。寛政9年無人島であったこの島を笠島年寄高宮小右衛門が開発し,佐柳島から浜口屋市蔵ら7名が移住したことに始まる。この時,両浦肝煎2人分と福田浦1人分の人名を移した(瀬戸内海に於ける塩飽海賊史)。宝永4年の御巡見帳によると,島まわり6町5間,高さ9間,山成り13町(塩飽諸事覚)。与島を本島として支配をうける。漁業とわずかの耕地による畑作,そして幕府の御用舟方など海運業が島民の生活基盤である。文久2年小笠原諸島調査の際,徴発された水夫の中に朝陽丸乗組員として島内出身の長左衛門の名が見える(瀬戸内海に於ける塩飽海賊史)。文政年間頃から島の粘土で瓦生産が行われ,備前児島や上方へ移出したという。神社は初田神社・大天狗神社。初田神社は,開拓に貢献した大坂天満与力初田助十郎を祀って寛政2年に創建される。別当は佐柳島の乗蓮寺,弘化2年拝殿を建築。大天狗神社は北端の鎮守として寛政12年に創建(県神社誌下)。明治元年倉敷県,同3年高知県・倉敷県,同4年丸亀県・香川県,同6年名東【みようとう】県,同8年再び香川県,同9年愛媛県,同21年三たび香川県に所属。明治7年(一説には明治5年)那珂郡に属す。同8年塩飽島が11か村となった際,岩黒村となる。同年の戸数21・人口140(梶山家文書)。同13年の漁業戸口は専業6,鰆網の船6・釣船6(塩飽漁業慣行文書)。同23年与島村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7429099
最終更新日:2009-03-01




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