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「内町(近世~近代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

内町(近世~近代)


江戸期~現在の町名江戸期は高松城総曲輪のうちの侍屋敷地・町人地の総称高松城の東・西・南の周囲に位置する町人地は内町5町(本町・鶴屋町・工町・魚屋町・内磨屋町)と...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7429134]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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内町(近世~近代)

江戸期~現在の町名江戸期は黒石城下の1町黒石陣屋に南接して東西にのびる武家町で,市ノ町とともに陣屋の大門が構えられている(鳥城志)享保年間の黒石府家之図に「士家 御門内十八軒」と見える幕末から明治にかけての私塾として,当町には,天内小一郎による漢学を中心とする天内塾,吉村真による皇漢学の吉村塾,同じく加藤新による加藤塾が開かれている明治初年~明治22年は黒石を冠称する場合もあった明治初年の「国誌」によれば,町の規模は東の陣屋大手前から西の大工前まで長さ136間・幅3間4尺5寸,戸数は貴属屋敷33明治6年黒石陣屋内の信載義塾を校舎として第7大学区第14中学区三番小学を開設,同7年黒石小学,同19年黒石尋常小学校と改称(県教育史)明治12年の黒石小学の教員数は男2・女1,生徒数は男413・女130(明治12年公学校表)また同年南津軽郡中学校を開設,同年の教員数は男2,生徒数は男33(同前)明治10年黒石警察署(昭和54年まで),明治11年黒石郵便局(昭和2年まで)を設置明治17年の戸数31・人口149(烏城志)同22年黒石町,昭和29年からは黒石市に所属明治23年の調査では,東西2町29間・南北3町9間,家屋数32,学校2,倉庫1(同前)以後の戸数・人口は,同28年29・235,大正元年49・252明治35年大石武学流の庭園「さわなり」が当町北部に完成した昭和50年の人口268,同55年の人口189,就業人口は第2次産業9・第3次産業78(黒石市の統計)

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

内町(近世~近代)
江戸期~現在の町名明治初年~明治22年は関宿を冠称江戸期は関宿城下町の1つ明治22年からは関宿町の町名町高は,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに66石余天保年間の貢租は永17貫43文余で,耕地は畑が多かった元和3年向下河岸(現埼玉県)から曹洞宗総寧寺が移され,寛文3年水害を避けるため国府台(現市川市)へ移転した(関宿伝記)船曳人足など水運業に従事する者が多かった神社は神明神社明治8年の反別11町6反余,戸数20・人数107(木間ケ瀬小沼家文書)同24年の戸数18・人口125,厩2,船3明治44年~昭和4年,昭和30年頃の江戸川河川改修工事により,鎮守神明神社をはじめ多くの家が移動,町内の大半が江戸川河川敷となった大正12年の戸数16,すべて農業昭和40年の世帯数15・人口81...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

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