ケータイ辞書JLogosロゴ 青海村(近世)


香川県>坂出市

 江戸期〜明治23年の村名。阿野【あや】郡北のうち。高屋郷に属す。はじめ生駒氏領,寛永19年からは高松藩領。村高は,「寛永17年生駒氏惣高覚帳」659石余(異本では652石余),「貞享元年高辻帳」562石余,文政9年619石余,「天保郷帳」623石余,「旧高旧領」549石余,ほかに白峰寺領71石余。山間地の地形を利用して綿の栽培が特に盛んであり,寛永19年小物成では1貫73匁がみられ,また柒代銀1匁3分が上納されている。文化3年砂糖苗を大内【おおち】郡から購入し,林田・神谷【かんだに】両村とともに砂糖製法場を営み,諸人に見習いをさせたことに始まり,のちに藩の専売政策とともに盛んとなる。当村庄屋渡辺家は,阿野郡北の大庄屋でもあった。元治元年5月,大風雨・高潮で金屋浦新開水門が切れ,甘蔗が潮枯れとなったため上納銀の減免を願い出ている(渡辺家日記)。文政6年には秋田米・越後米150俵,同7年は肥後米・加賀米・越後米・庄内米が大藪浦へ入っている。同10年には砂糖仲買人3・桶師2・雑穀仲買人1・米問屋1。谷のせき止め池大小30余が散在し,松浦池・六ツ林池・真元池が大きい。神社は当村氏神として春日大明神,鎮守として厳島大明神が尊崇を集め,寺院には白峰寺(寺領120石)がある(御領分中宮由来・御領分中寺々由来)。安政5年8月「おが虫」が蔓延し,拾取舛目にして7斗2升余にもなり,村民は憂えて虫除けを祈った。これが須賀にある地神社である。山裾沿いに高屋へ通じる道がある。明治4年高松県,同年香川県,同6年名東【みようとう】県,同8年再び香川県,同9年愛媛県,同21年三たび香川県に所属。明治8年の戸数324・人口1,397,反別78町余(梶山家文書)。綿・甘藷に代わり,同20年代頃から渡辺渡により温州ミカンの栽培が盛んとなる。明治6年,ヘツカイ学校が創設される。同23年松山村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7429166
最終更新日:2009-03-01




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