ケータイ辞書JLogosロゴ 栗熊郷(中世)


香川県>綾歌町

 鎌倉期〜室町期に見える郷名。鵜足郡のうち。嘉元4年6月12日付の昭慶門院御領目録案(竹内文平氏旧蔵文書)に,後宇多上皇から異母妹昭慶門院憙子へ譲った讃岐国国衙領の1所として「栗熊郷〈東脱上人〉」と見える。その後,室町期になって,応永6年12月23日および同18年7月25日の大報恩寺(千本釈迦堂)領目録に栗熊郷が見え,それぞれ将軍足利義満・足利義持の証判を得ている(大報恩寺文書・壬生家文書)。下って,永禄10年8月吉日付の板倉亀石大夫武忠から北監物丞への伊勢神宮御師道者株沽券(来田文書)に,「くりくま之郷中之我々持分之旦那一円」と見える。なお,鎌倉期の建長5年10月21日付近衛家所領目録(近衛家文書/鎌遺7631)には,「二位領讃岐国栗隈庄〈西林寺領〉」が見えるが,これは栗熊郷内に立券された荘園で,当時,藤原基実の母源信子の所領で西林寺が知行していたものであろう。栗熊地区内に「庄」という字があるが,同地を中心とした地域に比定される。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7429494
最終更新日:2009-03-01




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