ケータイ辞書JLogosロゴ 財田村(近代)


香川県>財田町

 明治23年〜昭和45年の自治体名。はじめ三野郡,明治32年からは三豊郡に所属。三豊郡の東南部,南に讃岐山脈を控えた農山村。財田上村・財田中村が合併して成立。旧村名を継承した2大字を編成。役場を財田上に設置。財田上の小学校は,明治5年の品福寺仮校舎に始まり,同12年地内久保下に雉峡小学校,阿須波に春魁小学校が建てられたが,同30年両校が合併して正宗に財田上尋常小学校が開校した。財田中の小学校は伊舎那院の仮校舎に始まり,明治25年財田中簡易小学校設立,同29年川西に移転し,財田中尋常小学校と改称された。昭和22年財田中学校設立,各小学校に教場を置き,同25年財田村・神田村組合立和光中学校設立。昭和23年県立三豊農業高校財田分校開校,同26年笠田高校財田分校校舎新築,同40年閉校。里道財田上高瀬線は明治35年改修。大正12年電灯架設。同年国鉄讃岐線(国鉄土讃本線)が財田まで延長される。郵便は明治15年戸川に郵便取扱所設置。明治42年財田村勧業7か年計画が発表され,大正2年財田村第一耕地整理組合が設立認可されたのをはじめ,昭和11年の政宗耕地整理事業まで11の組合・事業が設立・施行されている。森林開墾も大いに進められ果樹園芸農業が発達した。初期にはナシ・モモ・ブドウ・リンゴなどが植えられたが,農業経営上成功したのはそれに代わった柑橘栽培であった。昭和4年缶詰工場が讃岐財田農産物加工販売組合として設立されると,タケノコの生産が飛躍的に増大した。乳牛の飼育は大正4年頃から始められ,昭和15年頃から一般に普及し,同18年に酪農組合を結成。養豚は大正7年頃から始まり,同15年頃から副業として流行しはじめた。煙草は明治期以来自由耕作されていたが,専売法公布以後は,昭和7年,4名の試作に始まり,安定した価格のため漸次耕作者が増加し,同44年には耕作農家328戸・作付面積129町余に拡大し農家収入の中心を占めるまでに成長した。醤油は,大正頃から財田上の近藤貞吉が醸造を開始し,財田中の川崎茂雄とともに製造販売に従事した。明治36年,黒川に出資金5万円で八重山合資会社が設立される。大正10年には出資金27万円となり有限責任八重山銀行と改称,金融のほかに肥料販売もするなど地域の需要に応じたが昭和24年閉店となった(財田町誌)。世帯数・人口は大正9年1,070・5,340,昭和10年1,032・5,338,同25年1,246・6,680。昭和45年,村制80周年を記念して町制施行。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7429572
最終更新日:2009-03-01




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