ケータイ辞書JLogosロゴ 砂弥島(近代)


香川県>坂出市

 明治23年〜昭和26年の与島村の大字名。明治24年の戸数20・人口117(男59・女58),幅員東西1町・南北3町,学校1,小船19(徴発物件一覧)。釣船と鰆小網を中心とした小規模な漁業が島の産業であったが,同27年頃砂弥島塩田7.5町が築造されてから塩田従業者が流入し人口も増加していった。坂出への往来は1日1往復の不定期船があり,漁獲物の運搬をはじめ,郵便物・新聞・日用品の輸送もこれに頼った。無医・無警察地区で,島民の生活は不便であった。教育では,明治38年聖理小学校は,与島尋常小学校砂弥分教場と改称,学級数1。大正12年高等科を併置。昭和22年砂弥小学校・砂弥中学校が設置された。昭和11年当地に寄り「万葉集」に詠んだ柿本人麻呂を記念して島の北岸に碑が建てられた。同26年沙弥となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7429714
最終更新日:2009-03-01




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