ケータイ辞書JLogosロゴ 陶村(近世)


香川県>綾南町

 江戸期〜明治23年の村名。阿野郡南のうち。府中郷に属す。はじめ生駒氏領,寛永19年からは高松藩領。村高は,「寛永17年生駒氏惣高覚帳」1,520石余,「貞享元年高辻帳」620石余,「天保郷帳」1,575石余,「旧高旧領」1,740石余。金毘羅街道が東西に通り,西の原には一里塚の所在地である一里山の地名が残る。貢租は高松御蔵納。文政11年の「高松藩大庄屋小庄屋姓名録」には萱原の条と同じ代々刀指・介役の塩田次郎左衛門の名がある。江戸期の醍醐三宝院中心の当山派修験道の道場として福寿院,大吉があった。幕末,高松藩が京都本圀寺に駐屯して禁裏を警護した時,陶虎八も藩命で従軍した(綾南町史)。また,長崎に遊学して師ポムペのもとで蘭学や蘭方医学を学んだ人の中に当村出身の三好晋造の名がある。江戸期に築造された比較的大きい池に北条池がある。萱原村との境に造られ,周囲4km弱,水面積59ha,水利高5,868石余で,県下で満濃池・神内池につぐ大池である。ほかに赤地上池(水利高47石余)がある。明治4年高松県,同年香川県,同6年名東【みようとう】県,同8年再び香川県,同9年愛媛県,同21年三たび香川県に所属。明治8年の戸数756・人口3,488,反別223町余(梶山家文書)。明治5年滝宮・萱原・小野と当村の4か村で旧竜灯院綾川寺の客殿に県第48区小学校を創立。同6年陶小学校が滝宮小学校より分離,校舎は長楽寺本堂を使用,同年西讃農民騒動により校舎焼失。同7年字宮前に新築したが暴風雨で倒壊。同8年甕隣小学校が字猿王の五社八幡前に創立され,陶小学校も再建された。同19年陶小学校は英小学校と改称し,字渋市に校舎を新築し甕隣小学校を合併。同20年にはこれを廃止し,現在地に陶尋常小学校を創立。「新撰讃岐国風土記」によれば,郷の南東に位置し,東は畑田,南は山田下,西は萱原,北は府中・新名の諸村に接し,反別は田416町余・畑106町余・山林289町余・原野1町余・宅地39町余,戸数703・人口4,072(男2,038・女2,034),山は十甕山・鞍掛山・日山・丸山・鷲尾山,川は富川,泉は大泉・小笠泉,池は北条池・田池・実光池・飼野上池・飼野下池・大池・八箇池・山神池・谷池・濁池・東谷池・平池・鵜戸池,神社は大宮八幡神社・讃留王社・五社八幡社・北宮八幡社・春日社・林社・上坊社・田村社・代地社・吉森社・渋市社・田所社・月見社・国津社・赤天満社・東原社・荒神社2・三吉社,寺院は真宗長楽寺・同宗常教寺,ほかに観音堂・観音庵,村役場・高等小学校・尋常小学校・駐在所,古跡は般若坊跡など6があり,産物は瓦・石鏃・鞍掛石・飴石・鉄石,道路は県道が村の中央を東西に貫通。里道は村の北の新名村より当村を経て萱原村に通じる。同23年市制町村制施行により単独で自治体を形成。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7429777
最終更新日:2009-03-01




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