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- 十川村(近世)とは
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十川村(近世) 江戸期の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
十川村(近世) 江戸期~明治8年の村名早川村とも書く豊後国直入郡飛田【ひだ】郷のうち大野川と支流稲葉川との合流点付近に位置する岡藩領挾田【はさだ】組に属す村高は「正保郷帳」26石余,うち田10石余・畑15石余,「見稲簿」「天保郷帳」同高,「旧高旧領」30石余村位は中当村は中世志賀氏時代の岡城の大手門の正面に当たり,十川街と称される城下町であったが,文禄3年中川氏の岡城入部後,大手門を反対の西に移築,竹田村を城下町(竹田街)として整備したため,当村は衰微した寛文3年十川橋が架かる延宝3年滝上【りゆうじよう】寺創設挾田村大庄屋の支配を受けた十川滝があり,風光絶佳のために藩主中川久恒は十川観流亭御茶屋を設けたが,延享年間に取り崩した明治4年大分県に所属同8年挾田村に合併以来通称十川として存続現在の竹田市大字挾田のうち... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
十川村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」