ケータイ辞書JLogosロゴ 滝宮村(近世)


香川県>綾南町

 江戸期〜明治23年の村名。阿野郡南のうち。羽床郷に属す。はじめ生駒氏領,寛永19年からは高松藩領。村高は,「寛永17年生駒氏惣高覚帳」510石余,「貞享元年高辻帳」325石余,「天保郷帳」782石余,「旧高旧領」863石余ほか竜灯院領24石余。宝暦2年〜弘化年間の阿野郡南の大庄屋の1人として当村の片山庄太郎の名がある。綾川を挟む地域で金毘羅街道が東西に通り,起点の高松城下常磐橋から5里余,金毘羅まで2里余の地点になる小駅所である。滝宮天満宮付近には特別の一里塚が立ち,特に横町から綾川を渡る橋までの本町【ほんまち】には茶店・宿屋が並び,にぎわいをみせた。高松藩主が金毘羅参りをする時は必ず当地で休息したという。初代藩主は滝宮念仏踊りが極めて由緒あるものと認め,踊り場に立てる制札を下付し,毎年米70石を寄進した。当時,阿野・鵜足【うた】・那珂の3郡に南条組・北条組・坂本組・七箇組の4組があり,7月25日には踊る順番を厳重に守って踊りを奉納していたようである。綾川が洪水のために七箇組が渡れないとみて順番を替えて入場しようとした北条組の子踊りが,川を泳いできた七箇村の神職朝倉権之守に切り殺された事件が正保年間に起きている。これ以後,北条組は高松藩の許可を受け抜刀隊を組織して出場することになった。また,綾川に架かる安益橋には大庄屋奥村氏の石橋造営,文化13年当村小太郎,大内【おおち】郡港村三郎兵衛による架橋,文政12年の流失,安政4年当村小太郎,小野村次郎助・茂八郎による架橋の記録があり,小太郎と町内次郎助は橋と運命を共にしている(綾南町史)。文政11年の「高松藩大庄屋小庄屋姓名録」には庄屋和平の名が見える。「讃岐国名勝図会」には産物として横山の馬脳石,綾川の馬蹄石・千鳥石があげられている。高松藩ながら租税は宇多津御蔵納となっていた。江戸期の醍醐三宝院中心の修験道当山派の道場として千識があった。製糖・製綿が盛んであった。寺子屋では菅原道真を尊崇し,寺子屋に画像を所持する者があり天神講が盛んに行われた。竜灯院の僧竜泉は高僧で書道の大家でもあった。明治4年高松県,同年香川県,同6年名東【みようとう】県,同8年再び香川県,同9年愛媛県,同21年三たび香川県に所属。明治8年の戸数34・人口1,622,反別116町余(梶山家文書)。同年郵便取扱所が設置された。また屯所出張所を廃し滝宮村警察出張第三分局を置いた。明治6年の西讃民衆の一揆が琴平を経て当村に至り北山竜灯院綾川寺と滝宮天満宮が焼かれた。綾川寺は奈良朝の和銅年間,僧行基の開基と伝え,弘法大師が中興,僧智泉が初代住職となった。七堂伽藍を具備した大寺であったが明治元年の神仏分離の布達により廃寺となり寺院の一隅を区務所として使用していた。明治5年滝宮・萱原・陶【すえ】・小野の4か村で旧竜灯院綾川寺の客殿に県第48区小学校を創立。同6年梅花小学校と改称し,滝宮・萱原・小野の3か村を学区とした。その後萱原村に萱原小学校,綾川東に魁春小学校,綾川西に大帰来小学校,北村に積善小学校が設立されたが同20年に4小学校を廃校にして滝宮尋常小学校が設立された(現滝宮幼稚園北)。「新撰讃岐国風土記」によれば,郷の北に位置し,東は萱原村,南は北村,西は小野村に接し,北は府中村に至り,反別は田175町余・畑59町余・山林122町余・原野6町余・宅地18町余,戸数349・人口1,947(男944・女1,003),山は横山,川は綾川,池は大池・菰池・蛇谷池・濁池,泉は相谷泉。同23年滝宮村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7429858
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ