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- 豊福荘(中世)とは
「豊福荘(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 豊福荘(中世) 鎌倉期に見える荘園名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 豊福荘(中世) 鎌倉期~室町期に見える荘園名美作国英多郡のうち貞応3年頃と推定される年月日未詳の宣陽門院覲子内親王所領目録(島田文書)に上西門院(統子内親王)から寄進された新御領のうちに「豊福庄」が見える年月日未詳後欠の豊福南荘実検名寄帳に「美作国豊福南庄嘉禎三年実検名寄帳事」とあり「惣田数二十九丁弐段大四十三歩」とみえ,この名寄帳は嘉禎3年のものであることがわかる(仁和寺所蔵御経蔵文書)下って永徳3年11月日の豊福南荘讃甘下荘年貢注文(同前),年月日欠豊福南荘讃甘下荘文書断簡の端裏にもみえ,以上のことから当荘は仁和寺が領していた可能性が高く,また北荘と南荘とに区分されていたようであるまた応永20年写と端書に見える法金剛院領目録(京都御所東山御文庫記録)に同院領として当荘が見え,「左衛門佐入道(斯波満種カ)」が知行人であったらしい当荘域は,その後播磨国に編入され,現在の兵庫県佐用郡佐用町豊福周辺に比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」