ケータイ辞書JLogosロゴ 中通村(近世)


香川県>琴南町

 江戸期〜明治23年の村名。鵜足【うた】郡のうち。長尾郷に属す。はじめ生駒氏領,寛永19年からは高松藩領。村高は,「貞享元年高辻帳」223石余,文政9年西村家文書379石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに371石余。寛永5年生駒氏が大川神社に奉献した鐘の銘に「奉寄進讃州宇多郡中戸大川権現鐘鼓数三十五組為雨請也」とある。文政9年西村家文書によれば,物成(四口米)156石余,夏成1,506匁4分,浮役銀は自分林運上銀1匁7分・真綿192匁2分・薪代37匁6分・炭銀508匁7分,家数160(石居89・掘立71)・人数556(男307・女249),職業別人数は本百姓97・半百姓14・鍛冶1・社人2・猟師1,牛105・馬4。神社は郷社大川大権現(現大川神社)が大川山頂にあり,祭神は大山祇命と木花咲耶姫命で,祈雨と安産の神。寛永5年生駒氏の鐘鼓35組の寄進から大川念仏踊りの奉納も行われ,高松藩も祈雨の神として大川米20石を下付した(西村家文書)。中通八幡神社は天正2年新名弾正が祈願をこめて出陣し,奇特があったと伝える(讃岐国名勝図会)。天保12年庄屋罷免を求めて高松城下へ強訴,安政3年入会地紛争で阿波国へ越境した三尾谷事件などがある(西村家文書)。医師小松健益が慶応年間皆野に私塾を開設(同前)。明治4年高松県,同年香川県,同6年名東【みようとう】県,同8年再び香川県,同9年愛媛県,同21年三たび香川県に所属。明治8年の戸数203・人口761,反別42町余(梶山家文書)。明治5年野口学校を堀川氏宅に置き,同20年中通簡易学校を本名においた。「新撰讃岐国風土記」によれば,郷の南に位置し,東は川東村,南は勝浦村,西は造田村,北は西分村,反別は田58町余・畑28町余・山林1,578町余・原野5反余・宅地6町余,戸数197・人口957(男518・女439),山は大川山・小大川山,川は橋谷川・平川,淵は駒が淵,池は地下清池,森林保護官舎・巡査駐在所があり,産物は中通種子と有名な菜種。同23年美合村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7430038
最終更新日:2009-03-01




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