ケータイ辞書JLogosロゴ 西川津村(近世)


香川県>坂出市

江戸期〜明治11年の村名鵜足【うた】郡のうち川津郷に属す丸亀平野の東部,大束川の中流域に位置する地名の由来は,大束川の河川交通の重要な港(津)であったことにちなむ明和2年鵜足郡村々高帳(高木家文書)に当村の名が見え,江戸中期に川津村が当村と東川津村の2か村に分村して成立したと思われる高松藩領村高は,明和2年鵜足郡村々高帳1,264石余(田1,163石余・畑101石余),「旧高旧領」1,268石余慶応4年には東川津村に24石余の出作地をもつ(高木家文書)池は,寛政12年頃の築造とされる蓮池をはじめ矢野谷池・長池・上池・西谷池・東谷池・鎌田池・野分池の計8産業は米作を主とする農業と思われるが,明治2年の郷帳に砂糖車株5挺・仲買3の記載から若干の砂糖生産がしられる(沢井家文書)嘉永年間,元結木に寺子屋対飯館があり,漢字・習字・算術などを教授した明治3年大束川の竹木伐採事件が起きる藩から永小作の許可を得ていた長百姓に無断で小百姓が作物の出来が悪くなったという理由で伐りとってしまったのが事件の発端であり,長百姓は藩に提訴した同4年高松県,同年香川県,同6年名東【みようとう】県,同8年再び香川県,同9年からは愛媛県に所属同年飯麓小学校が設置され,生徒数50,教室坪数12.5道路は,郡道中原丸亀線と宇多津にあった旧御蔵を結ぶ滝宮宇多津線が幹線であった同11年川津村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7430098
最終更新日:2009-03-01




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