ケータイ辞書JLogosロゴ 引田町(近代)


香川県>引田町

 明治42年〜現在の大川郡の自治体名。大字は編成せず。明治44年大蔵省告示第50号により安戸塩田が廃止された。製塩場6・製造人員5・従業員数129・製塩地16町9反余。大正10年引田尋常高等小学校校舎改築移転。「大川郡史」に明治末年頃の当村は,住民が農業者4,商工業者3,漁業者3の割合で,土壌は肥沃で米麦作に適し,農産物の産額は25万円余であり,養蚕・養豚などの副業を行っている。商業はすべて小売商で,出入の商品総額は430万円に上る。工業は主として醸造業,なかでも酒・醤油の名声はつとに県の内外に高く年額40万円を生産する。そのほか手袋・メリヤス・靴・網の製造なども盛況を呈した。漁業も盛んで漁獲高は年額35万円に上り,海産物の製造は海参・海鼠・海鼠腸・干海老・干鱧・干鰮・魚粉など年額13万円に及ぶと記されている。大正9年の世帯数1,103・人口4,678(男2,272・女2,406),職業別人口は,農業830・水産業340・工業447・商業355・交通業79・公務自由業105・その他の有業者6・無職64,昭和5年の人口5,355(男2,626・女2,729),職業別人口は農業753・水産業396・工業438・商業416・交通業109・公務自由業151・家事使用人46・その他の有業者38・無職3,008,同10年の世帯数1,113・人口5,323(男2,589・女2,734),同20年の人口7,310(男3,268・女4,042),第2次大戦の影響で男性が少ない。同25年の世帯数1,518・人口7,323(男3,482・女3,841),職業別人口は,農業656・林業7・漁業および水産養殖業551・鉱業1・建設業94・製造業721・卸売業および小売業330・金融保険および不動産業18・運輸通信およびその他の公益事業139・サービス業287・公務60・不詳4。同30年面積6.66km[sup]2[/sup],世帯数1,478・人口7,167(男3,432・女3,735),職業別戸数は,農業499・商業321・工業183・漁業374・その他171。同年,小海村・相生村を合併,旧引田町域・旧小海村域から新設された引田・小海に相生村の6大字を加え8大字を編成。合併後の面積48.05km[sup]2[/sup],人口1万2,829,同35年の職業別世帯数は農業755・林業15・漁業水産養殖業230・鉱業2・建設業118・製造業546・卸売業および小売業231・金融保険不動産業30・運輸通信業127・電気ガス水道業4・サービス業209・公務59・失業5,世帯主が非労働力の世帯269。大正7年の米の作付反別175町余・収穫高2,800石,麦は163町余・3,279石,昭和2年の生産総価額は農業21万9,717円・畜産1万4,542円・林産5,401円・鉱産900円・水産36万2,055円・工産93万5,876円の計153万7,791円,耕作面積・収穫高は,同年米185町余・4,070石,麦160町余・2,896石,同21年の米143町・2,812石,同22年麦93町余・909石,第2次大戦による労働力・肥料などの不足により耕作面積・収穫ともに激減した。同25年の農地面積田187町余・畑24町余のうち農地改革の結果田84町余・畑7町余が解放され,改革後の自作面積は田156町余・畑21町余になった。同年の供出高は米624石・麦501石・甘藷7,557貫・家畜216,特産物は海産加工品・清酒・醤油・木製品(香川年鑑)。同30年の田189町余・畑35町余・宅地10万150坪・山林273町余・池その他21町余,収穫高は,米2,900石・麦1,800石・煙草1,700kg・繭1,500貫・海産物19万7,000貫,同31年には田575町余・畑89町余・宅地20万7,004坪・山林2,504町余・その他7反,収穫高は米1万100石・麦5,500石・甘藷2万5,000貫・煙草6万9,500kg・漁獲50万貫・醤油1万5,000石(同前)。大正期に入ると内海漁場の荒廃が進み,地先から沖合いへ,さらに遠洋漁業,県外漁業に転換していった。大正4年の朝鮮沿岸通漁状況は春秋合わせて出漁人員112・漁獲高1万2,900円,同年秋と翌5年春の網は,縛網1・流網10・延縄2。「香川県朝鮮海出漁報告」によると同13年の県外出漁は徳島沖打瀬網10・甲浦沖ハモ延縄24・高知沖マグロ延縄1・田辺沖縛網7(東讃産業史)。昭和2年野網和三郎により安戸池のハマチ養殖事業が始まった。同16年戦事統制による餌料不足から一時中断したが,同26年事業再開。同27年法改正により安戸池は引田漁協の管理となった。同30年代から小割式施設が普及し養殖漁業は急増した。昭和3年の水産物価額は鯛6万・鰆2万9,750・鰮3万5,250・鮹6,300・黒鯛1万2,500・その他魚介12万2,755,水産製造物の食料9万2,500円・油および肥料3,000円(県統計書)。同25年の漁船数303(無動力203・動力100),漁家169,同30年の漁業種類別漁業経営体数は底引網59・まき網6・敷網2・刺網6・釣延縄44・大型定置網1・小型定置網30・その他7・浅海養殖業1の計156。同33年の漁船数205(無動力58・動力147)(県統計年鑑)。大正7年長尾〜引田間乗合自動車開通,同8年大坂越徳島行乗合自動車運行。翌年国道22号に指定され,昭和28年国道11号に改編,同34年引田隧道完工。大坂越えで徳島に至る県道徳島引田線,湊川に沿って徳島県脇町に至る県道引田清水線,白鳥町から鹿浦越えで安戸に出る林道が通じている。昭和3年国鉄高徳本線津田〜引田間が開通,同10年には引田〜板西間が開通して全通した。昭和3年引田に引田駅,同10年に南野に讃岐相生駅が開設された。同26年東讃沿岸航路の寄港中止。隣町白鳥の地場産業である手袋製造が波及し,昭和17年の香川県莫大小工業組合の加入業者36(東讃産業史)。昭和50年には光洋精工が生産を開始している。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7430288
最終更新日:2009-03-01




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