福江村(近世)
江戸期〜明治23年の村名。阿野郡北のうち。西庄郷に属す。福家とも書く。はじめ生駒氏領,寛永19年からは高松藩領。村高は「寛永17年生駒氏惣高覚帳」346石余(異本では646石余),「貞保元年高辻帳」577石余,「天保郷帳」721石余,「旧高旧領」768石余。当村は本村・笠指【かざし】・大池原・小山・西山・薬師堂の集落から成る。本村は一番古い集落で,坂出【さかいで】村ができてここから移住したものが多いため,坂出村に対し本村と称された。笠指は笠山の西麓にあり,大泉が湧出し,当村および隣村の坂出の飲料水を供給してきた。大池原は大池の堤の下にあるところからこの名ができた。またこの付近を鎌田ケ原といったので大池のことを鎌田池ともいう。坂出塩田に続いて開発された新田に灌漑するためこれまでの鎌田池を修築して広げ,天保4年に完成したものであり,上鎌田・下鎌田の2池がある。大束川から引水し,総面積6万坪,周囲30町余。薬師堂はもとここに薬師堂があったのでこの地名がある。また魚御堂があるがこれは讃留霊王に退治された大きなのような悪魚の腹が漂着した場所が福江の浦で,この悪魚の祟を恐れて後年魚御堂を建てたと伝え(讃留霊公記),本尊は木像薬師仏3体。庄屋は安井家の世襲,文政11年には清左衛門の名が見える(御領分郡之大庄屋小庄屋姓名控帳)。神社は,本村に横潮神社(祭神天照大神,本殿文久末年の建立),西山には八幡神社(祭神応仁天皇),笠山には若棟神社(祭神苔虫神),笠指に竜王神社(祭神大綿津見神)。同社の沿革は行基が説法したおり,竜女が姿を現し,玉のかんざしを残して昇天したので山頂に竜神を祀り簪山というようになり,これを略して「かざし」,のち笠山というようになったとある(讃州府志)。旱魃の時,この神社に祈願すれば必ず霊験ありといわれている。また大池原には池宮神社(祭神弥都波売命)がある。寺院は元治元年に善光寺(本尊善光寺如来像)・定光院(本尊大日如来)・福江大師堂(本尊弘法大師絵像)。明治4年高松県,同年香川県,同6年名東【みようとう】県,同8年再び香川県,同9年愛媛県,同21年三たび香川県に所属。同8年の戸数199・人口943,反別69町余(梶山家文書)。同8年大師堂を校舎として小学校が開校,善光寺本堂も併用され,生徒数40人余,同11年生徒数が増え校舎が手狭となり三光神社境内に1棟新築して移転した。同24年福江尋常小学校と改称。生徒数87。明治8年の大旱魃では反当たり平均1石5斗の収穫しかなかった。また同17年には台風のため海水が水田に入り,薬師堂より児浜一面が濁水で覆われた。潮のひいたのち,鎌田池の揺【ゆる】を抜いて水田の塩抜きをしたが稲および甘蔗は全滅の状態になった(金山村誌)。同23年金山村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7430329
最終更新日:2009-03-01