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- 南野村(近世)とは
「南野村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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南野村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
南野村(近世) 江戸期~明治11年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
南野村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
南野村(近世) 江戸期~明治9年の村名筑後国山門【やまと】郡のうち矢部川の支流塩塚川左岸の平野部に位置する地名は,鷹尾村の南の野が開かれたことにちなむ柳川藩領垂見組に属す村高は「旧高旧領」431石余明治5年の反別は31町4反余(郡郷/立花家文書)正保2年柳河藩領地図では高尾のうち南野とある南野新田は「柳河名所図会」の著者西原一甫の祖新左衛門種元が生存中に開拓したもので,その地域は慶長本土居外側の古屋敷・大西・黒木の内・北開一帯である種元は田地130石を藩より拝領して居住したが,その地は中開(南流町)の西に残る古屋敷の地であろう元禄2年5月「南浜武村・南野村に新開の出願あり,これを許す」とあり(郡役所日記),この南野村の新開が南野開であろう氏神は八幡神社明治9年栄村の一部となる現在の大和町栄のうち... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」