朝倉北村(近世)
江戸期〜明治12年の村名。越智【おち】郡のうち。今治藩領。明和9年朝倉中村が朝倉北村・朝倉南村に分村して成立。分村時の状況は田54町・畑4町1反余,新田畑5町3反余,村高607石余,庄屋は門太が任命された。村高は,「旧高旧領」607石余。なお,「天保郷帳」では朝倉中村として朝倉南村とともに1,255石余。神社は矢矧神社,同社はもとは朝倉宗廟といわれたが天正年間に荒廃し,慶長18年に移転し奉斎された。明治初期まで同社の神官が寺子屋を開いた。明治4年の戸数113・人口468。同6年愛媛県に所属。同12年朝倉南村と合併して朝倉南北村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7430693
最終更新日:2009-03-01