ケータイ辞書JLogosロゴ 畔屋村(近世)


愛媛県>広見町

 江戸期〜明治22年の村名。宇和郡のうち。宇和島藩領。川原淵組・黒土郷に所属。村高は天正検地では358石余,「慶安郷村数帳」358石余,うち田298石余・畑59石余,「元禄村浦記」「天保郷帳」ともに686石余,「旧高旧領」357石余。天和2年の給人の知行分は鈴木源五兵衛100石,土岐友右衛門100石,須田権之助50石,駒沢半右衛門50石,上田九郎右衛門50石,畑弥次兵衛50石,松下杢之助50石。「墅截」では「所柄は中,田方上ノ中,畑方中,水掛は中」と見え,百姓数56,うち本百姓40・半百姓10・四半百姓5・庄屋1,物成は薪・鍛冶炭・真綿・麻苧・漆・茶・楮など。「大成郡録」では家数75軒・人口397,牛14・馬28,鉄砲5,神社は白王権現社・河内大明神,寺院は禅宗万福寺。天明4年大宿川の洪水により死者2人を出した(村候公御代記録書抜5/編年史8)。明治6年愛媛県に所属。「宇和郡地理全志」によれば戸数93・人口401,物産は米麦のほか,大豆・小豆・黍・蕎麦・菜種・蔬菜・櫨実・楮・紙・茶など。明治11年北宇和郡に属し,同22年愛治【あいじ】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7430716
最終更新日:2009-03-01




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