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- 愛宕町(近世)とは
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愛宕町(近世) 江戸期~明治11年の町名笠間城下の1町笠間城の北西に位置する笠間5か町の1つ町の規模は南北2町余宝永2年「町方軒別書上」によれば,屋敷数40軒・店借13戸,人数189人,内訳は地作16(うち店借4)・穀売1・酒売4(うち店借1)・豆腐屋2(店借)・煎餅屋4・大工2など,ほかに上市毛村名主などがいた(県史料近世社会経済編Ⅰ)町の中央に町名の由来である愛宕権現があり,嘉禎年間笠間時朝の勧進といわれる寺院は,真言宗威徳院・法華宗真浄寺町の北東,水戸道への出口を三間屋といい,番所があり,のちに相生町とよばれた三間屋の西方を新組といい,のちに桜小路とよばれた明治11年笠間町の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」