ケータイ辞書JLogosロゴ 粟津郷(中世)


愛媛県>大洲市

 南北朝期から見える郷名。古代の久米郷と新屋郷との一部分が分立して形成された中世の郷と思われる。康安2年11月16日の高実寄進状(西禅寺文書/編年史3)に高実から「粟津郷生延名」内の田地2反が西禅寺へ寄進されているのが見える。貞治2年11月4日にも,上述と同一人物と思われる左衛門尉高実(津々木谷氏か)が請文を出し,当郷内生延名2反を西禅寺へ寄進している(西禅寺文書/編年史3)。この地は,さきに寄進した田地と同一のものか。その在所は「くほ田八多喜寺のかみ」とあり,八多喜寺付近の地と考えられる。室町期と推定される旦那名字注文(米良文書/熊野那智大社文書)に八多喜寺引の旦那中に「うはかへとの 同あわつ之郷地下一族引申候」とあり,祖母井【うばがい】氏が当郷に居住する領主であった。祖母井氏は,戦国期大洲宇都宮氏の被官であり,宇都宮氏から宇和山田城攻めの功を賞されて当郷を給され,春賀【はるか】村に平松城を築いたという(大洲旧記・大洲秘録)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7430762
最終更新日:2009-03-01




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