ケータイ辞書JLogosロゴ 池田村(近世)


愛媛県>丹原町

 江戸期〜明治22年の村名。周布郡のうち。松山藩領。村高は「慶安郷村数帳」では1,195石余,うち田1,083石余・畑112石余,「元禄村浦記」1,195石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに1,252石余。正保元年,当村・今井村・願連寺村に属した原野に丹原【たんばら】新町が建設された。貞享4年高木池,元禄12年中池など多くの溜池が築造された。「周布郡大手鑑」によると宝永7年の家数102軒・人口438,牛23・馬15,田132町余・畑22町余。「周布郡地誌」によれば,「寛政12年7月本村を東西村に分けたが,明治9年に東西を合併して一村となる」とあるが詳細不明。寺子屋は成願寺に設置されていた。明治5年の「松山領里正鑑」では里正は東分が渡部堯平,西分が臼坂千次郎。同6年愛媛県に所属。「周布郡地誌」によると,田157町余・畑11町余・宅地5町余・雑種地6町余,戸数156・人口696,牛36・馬48。神社は天満神社・熊野神社,寺院は古田村興隆寺末寺の成願寺。養性学校は教員1・生徒60,うち男39・女21。戸長役場は成願寺を仮用,物産は米・菜種・綿。職業は農業149・商業4・工業3。同17年養性学校は廃校となり,字平松に平松学校を開校,同20年池田尋常小学校となる。明治22年福岡村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7430801
最終更新日:2009-03-01




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