ケータイ辞書JLogosロゴ 稲満村(中世)


愛媛県>西条市

鎌倉期から見える村名新居郡のうち現在比定地については,西条市大字飯岡に稲積神社と呼ばれる古社があり,その周辺との説があるが,明確ではない年未詳で鎌倉末期のものと推定される1月21日付沙門心恵書状(覚園寺文書/神奈川県史資料編2)に「伊予国新居西条庄八箇村内……稲満村,為覚園寺領,本家役以下可令勤仕」と見えるのが初見このころ新居郡西条荘は8か村からなっており,そのうち4か村が京都遍照心院領,残り4か村が鎌倉覚園寺領であったが,稲満村は得重・得恒・福武等の諸村とともに西条荘内の覚園寺領を構成しているその後建武元年8月5日後醍醐天皇綸旨(覚園寺文書/神奈川県史資料編3上)に「伊予国新居西条荘内得重・得恒・福武・稲満等四ケ村為相摸国覚園寺領,知行不可有相違」,覚園寺領4か村のうちの本村は建武政権から知行を安堵されている
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7430883
最終更新日:2009-03-01




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