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岩淵村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
岩淵村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
岩淵村(近世) 江戸期~明治8年の村名二戸郡のうち馬淵【まべち】川支流安比【あつぴ】川中流域で川が大きく蛇行する地点の西側に位置する盛岡藩領享保20年からは福岡通に属す村高は,「邦内郷村志」86石余,「旧高旧領」92石余なお,「正保郷村帳」「貞享高辻帳」「元禄郷帳」「天保郷帳」「安政高辻帳」には当村の名は記されず,「仮名付帳」には浄法寺村の枝村として見える天保3年の「福岡通御代官所御郡分書上帳」によれば,高5石余(すべて給地で,給人は1人),ほかに主税殿御返地高86石余(すべて蔵入地)「邦内郷村志」では,家数23・人数156,馬100,神社は稲荷社・八幡宮・白山権現「本枝村付並位付」によれば,位付は下の中,家数32,集落別内訳は本村20・岡本12明治元年弘前藩取締,以後黒羽藩取締,九戸県,八戸県,三戸県,江刺県を経て,同4年青森県に所属同8年漆沢村に合併... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
岩淵村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
岩淵村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
岩淵村(近世) 江戸期~明治8年の村名会津地方中部,宮川の扇状地の扇頂部に位置する大沼郡のうち古くは尾岐郷に属したはじめ会津領,寛永20年からは南山御蔵入領東尾岐組に属す村高は,文禄3年の蒲生高目録では94石余,寛政元年の会津鑑では99石余,文化15年の村日記(県史10下)および「天保郷帳」「旧高旧領」とも99石余小名に堀込がある化政期の家数は本村5軒・堀込7軒(新編会津)村内に中世の館跡と伝える赤舘山がある神社は熊野宮明治4年の戸数11・人口58(若松県人員録)同8年北村・箕作村と合併して三寄【みよせ】村となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」