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- 馬木村(近世)とは
「馬木村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 馬木村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 馬木村(近世) 江戸期の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 馬木村(近世) 江戸期~明治7年の村名美濃国恵那郡のうち天正3年,織田信忠の軍が武田方の武将秋山伯耆守が守る岩村城を攻めた時,戦死した城兵の中に馬木十内がいた(美濃国諸旧記)江戸期は旗本明知遠山氏知行地村高は「慶長郷牒」「正保郷帳」「旧高旧領」で30石余,「天保郷帳」で32石余明治2年の村明細帳では村高32石余,反別田2町余・畑1町余,家数15・人数83,馬6匹,秣場1か所,百姓持林12か所,百姓持藪3か所,用水川筋堰上げ3か所,川1筋,土橋6か所,溜池1か所,白山大明神・観音堂があったまた「当村山方ニ御座候」として猪鹿威の鉄砲を2丁所持した同4年岐阜県に所属同7年東方【ひがしかた】村の字となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 馬木村(近世) 江戸期の村名宇和郡のうち宇和島藩領多田組・岩野郷に所属宇和盆地北部,宇和川流域に位置する村高は天正検地では340石余,「慶安郷村数帳」では340石余,うち田304石余・畑36石余,「元禄村浦記」「天保郷帳」ともに304石余天和2年の給人の知行分は遠藤多左衛門100石慶安元年村内に馬木池が築造され,嘉永2年埋め立てられたが,明治元年再び造成された(宇和島池帳)寛文12年清沢村の枝村となり,人家も清沢村へ移動した結果,字名をとどめるのみとなった現在の宇和町大字清沢のうち... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」